川越達也 絶対味覚

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川越達也(かわごえたつや)とは



かわごえたつや
川越達也 プロフィール

料理人
株式会社タツヤ・カワゴエ代表取締役

1972年3月7日生まれ
出身 宮崎県東諸県郡国富町

<出身校>
宮崎県立本庄高等学校
大阪あべの辻調理師専門学校

大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、
大阪、東京のフランス料理店、イタリア料理店、日本料理店で修業。

25才でイタリア料理店の料理長となり、その後、2店舗で料理長を歴任。

28才のときに独立、「ティアラ・K・リストランテ」をオープン。

独立6年目に店舗を代官山へ移し、店名を「タツヤ・カワゴエ」とする。

2009年10月に同じ代官山にて再び移転。

料理を食べれば「使われた食材」をすべて当て、はたまた、
作るときは調理前から「できあがりの味」が頭の中でイメージできてしまうという
「絶対味覚」の持ち主でもある。

<結婚 離婚歴>
24歳でソムリエの女性と結婚し、3年後に離婚。
30代前半頃に一般家庭の女性と再婚するも、すれ違いを理由に離婚

    

テレビ初告白 父への憎悪・弟の死

たましいの授業2」(TBS) 2012年7月13日放送より

テレビ初告白 父への憎悪・弟の死

川越達也は、自分の父親に対して、物心ついた時から嫌悪感というか、
残念な気持ちというか、
とにかく自分の父親だということを認めたくないというか…、

「父親じゃなかったらいいのに」

って思うような子供だったという。


川越達也の父は、公務員として毎日コツコツ働き、
周囲からの印象は至って真面目な人だった。

普段家でも穏やかで、口数の少ない父だったという。

しかし、酒が入るとその性格は一変…。

酔っ払っては時に母へ暴言を吐いた。

そして酒に酔った父の常軌を逸した行動は収まることを知らず、
川越達也や弟にも暴言・暴力が繰り返された。

川越達也は、子供ころから父を憎み、恐れて生活していた。

40年生きてきて、
文字にしたら100文字も話してないんじゃないかっていうくらい、
父親とは喋ってないという。

「何かが憑依したような、人格が変わったような父親を見ていて、いつも恐怖でした」

「とにかく子供ころは、恨んで恨んで、憎んでました」

さらに母親が病弱なうえ、それでも生活を支えるために、
朝から晩までずっと休みがないくらいいつも働いてる人だった。

川越達也が高校卒業後、地元・宮崎を出て、
料理の道を志した理由も、
手に職をつけて自分で食べていける大人に、一日でも早くなって、
母親を引き取る、何かあった時に面倒を見てあげられる大人になりたい、
そして、弟のことも面倒見てあげられる大人になりたいというのがきっかけだった。

実は、料理が大好きかって言うと、好きではないという。

料理ができるから仕事にした、
それが川越達也が料理人を目指した本当の理由だった。

<家族との関係 大きな転機>

川越達也は上京後、父とは全く連絡を取らず、修行に邁進。
父を恨む気持ちが、川越達也にとってモチベーションだった。

川越達也はその後、28歳の若さで独立。
自らの店を構えるまでになった。

一方、3歳年下の弟・川越慎也さんは、
地元・宮崎を出て一時は、兵庫県の園田競馬場で、ジョッキーとして活躍。

27歳でジョッキーを引退したあとは、新しい人生を探して挑戦を続けていた。

両親は宮崎。
弟・慎也さんは兵庫。
川越達也は東京。
家族はバラバラに生活していた。

転機が訪れたのは、川越達也33歳の時、6月25日のことだった。
最愛の弟・慎也さんが通勤途中の自分のバイクで事故にあって亡くなる。

しかし、この慎也さんの死が、川越達也に大切なことを教えてくれた。

弟・慎也さんの死から数日後、家族は久々に再会。

慎也さんが生前住んでいたアパートに、両親とともに向かっていた時のこと。

家族のことを嫌いだと思っていた父が泣いていた。
川越達也にとって信じられない光景だった。

「父は自分も母も弟も愛していない」

そう思ってきたが現実は違ったのかもしれない、
川越達也はそう思ったという。

大切な弟を亡くさなければ、こんなことにも気づけなかった自分を、
川越達也は悔やんだ。

幼少期恨んでた父に対して現在は、

「現実として18歳の高校卒業までは、学校を出してくれたってことは、
本当に父親としても感謝もしてますし、
両親がいてはじめて僕がこの世に存在してるっていうのはわかってますから、
だから感謝はしてます」

という。

憎んでいた父に生まれた感謝の気持ち、そして、
弟・慎也さんの死は、もうひとつ大切なことを川越達也に気づかせてくれた。

慎也さんのアパートに入った時、
慎也さんが英語の勉強をしていたらしい形跡が読み取れた。

いろんな人に聞いたら、
もう一度ジョッキーになりたい、それが海外だったらなれる可能性がある、
ということだった。

慎也さん本人としてはまだ志半ばだったのかもしれなかった。
そのための英語の勉強のようだった。

「じゃあ僕がもっともっと頑張ろう、奴の分まで頑張ろう、って思ったきっかけにもなりました」

川越達也が気がついたふたつのこと。

「親の本当の気持」
「日々を悔いなく生きることの大切さ」

そして川越達也にはこんな夢があるという。

それは、
いつか慎也さんが行きたがっていたロンドンに、
いつか、小さな店を出すという夢…。

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