由紀さおり 手紙

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由紀さおり(ゆき さおり)とは…

由紀さおり プロフィール
ゆきさおり



本名 安田 章子(やすだ あきこ)

歌手 タレント 女優

1948年11月13日生まれ
出身 群馬県桐生市



姉は歌手の安田祥子

大好物は、日本橋「玉ひで」の親子丼。

玉ひで
住所 〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1丁目17-10
http://www.tamahide.co.jp/


<由紀さおりの芸能活動履歴>

由紀さおりさんは5歳の時、姉・安田祥子さんの所属する
ひばり児童合唱団」に入団。
翌年レコード会社のオーディションに合格し、プロの童謡歌手として活躍。

ひばり児童合唱団とは、
創立70年の歴史ある合唱団で、
過去多くの歌手を輩出してきた名門。

ひばり児童合唱団当時からずば抜けた歌の才能を持っていた
姉・祥子さんはその後、本格的にクラシックの道へ進み、
東京藝術大学、さらに音楽会の超名門、
ニューヨーク・ジュリアード音楽院で声楽を学び、
エリートの道へ進んだ。

姉・祥子さんと同様に、
歌の才能を見せていた少女時代の由紀さおりさんは、
中学2年生の時には、NHKの歌のお姉さんに大抜擢される。

歌謡曲の歌手を夢見ていた由紀さおりさんは、
16歳の時、本名の安田章子で念願のメジャーデビュー。
デビュー曲のタイトルは、「ヒッチハイク娘」(1965年 キングレコード)

しかしその後、
どこにいるのパパ」「お別れの涙」「ふるさとの牧場」と、
3枚のシングルを発表するが全く売れなかった。

由紀さおりさん曰く、当時は、
青春歌謡(舟木一夫さんの「高校三年生」など)の
女学生版を考えてもらっていたようだが、売れなかったとのこと。

その時に出会ったのがコマーシャルソングだった。

スカっとさわやかコカ・コーラ
歌・安田章子

など、顔が出なかったので知られていないが、
高校生時代、安田章子名義で担当したCMソングは、
実に500曲にものぼる。

ちなみに、当時歌っていたCMソングのほとんどは、
「夜明けのスキャット」の作曲者・いずみたく氏によるものだった。

その後、CM歌手、ナイトクラブへの出演など、
地道に活動をしていた由紀さおりさんにチャンスが訪れる。

1968年 ラジオの深夜番組で流れた歌詞のない曲に、
問い合わせが殺到。

1969年 その曲に歌詞をつけ、
芸名を由紀さおりに改め、「夜明けのスキャット」を発表。

再起をかけた「夜明けのスキャット」は210万枚を超える大ヒットを記録。

このヒットを受けて、母が社長兼マネージャーとなり、
個人事務所「やすだ音楽事務所」を1969年に設立。

この年に音楽ディレクターとも結婚。
公私ともども華やかな人生を歩み始める。

その後も、「手紙」「恋文」などヒットを飛ばし、
NHK紅白歌合戦には10年連続で出場。

歌手以外の様々な仕事も舞い込み、
映画「家族ゲーム」を始めドラマでも、その演技力が注目される。

「ドリフ大爆笑」などのバラエティ番組では、コントにも挑戦。

しかし、結婚15年目に離婚。
紅白歌合戦への出場もなく、どん底感を味わう。

その時に母の房子さんから、
「原点の童謡を姉妹で歌ったら」とアドバイスを受け、
歌謡曲を離れ、童謡を中心とした活動を始める。

1985年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、
その後の童謡ブームの火つけ役となる。

懐かしき日本の歌

1987年には童謡歌手としてNHK紅白歌合戦(第38回)へ9年ぶりに復帰。

由紀さおりさんは歌手人生の中で、
3回声が出なくなったことがある。

由紀さおりさんが37歳の時、子宮筋腫と子宮内膜症を併発。
ホルモン治療を勧められたが、声が太くなる可能性を告げられ、
ホルモン治療を受けないまま5年間悩み続け、
1990年、42歳の時、歌声を守るため、ついに子宮摘出を決意したことも。

1999年5月21日 母・房子さんが81歳で永眠。
由紀さおり・安田祥子姉妹は、地方公演のため、
母の最期を看取ることはできなかった。

2011年 ピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が海外で高く評価される。



2012年5月30日
カバー曲を中心とした由紀さおり初期のアルバム8タイトルが初CD化。
紙ジャケット仕様。デジタル・リマスタリングによる復刻発売。




由紀さおり・安田祥子が唄う童謡愛唱歌全集(CD5枚組 全99曲)

由紀さおり・安田祥子が唄う童謡愛
唱歌全集(CD5枚組 全99…

\10,800(税込)

歌い継がれてきた童謡・愛唱歌を2人の流麗な歌声が奏でます。【DISC1】01 赤いくつ02 赤とんぼ03 あの子はたあれ04 あの町この町05 あめふり06 雨降りお月07 あわて床屋08 兎のダンス09 海?うみ10 嬉しいひなまつり11 お正月12 おぼろ…

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由紀さおり・安田祥子が唄う童謡愛唱歌全集(CD5枚組 全99曲)由紀さおり・安田祥子が唄う童謡愛唱歌全集(CD5枚組 全99曲)をカートに入れる
由紀さおり・安田祥子が唄う童謡愛唱歌全集

夜明けのスキャット



「夜明けのスキャット」

作詞 山上路夫
作曲 いずみたく
編曲 渋谷毅

1969年3月10日に発売された由紀さおりのシングルレコード。

タイトルに含まれている“スキャット”の通り、
具体的な歌詞があまり登場せず、
大半が「ルー、ルル、ルー」というスキャットで歌われている楽曲。

オリコンのシングル週間ヒット・チャートで第1位を獲得するなど大ヒットを記録する。
1969年の年間ヒットチャートでも第1位に輝くなど、日本の歌謡界を代表する名曲となる。


〜「夜明けのスキャット」と「由紀さおり」の誕生〜

安田章子としてデビューしてしばらくは、
ヒットに恵まれない時期が続いた由紀さおりさんでしたが、
レコード会社を辞め、
NHKのこども番組やCM歌手など地道な活動を続けていた時、
チャンスが訪れます。

当時歌っていたCMソングのほとんどを作曲していた
いずみたく氏から、

「今度僕の担当しているラジオ番組のオープニング曲を作り直すんだけど、キミ、歌ってもらえないかな?」

と、声をかけられる。

その番組というのは、
TBSラジオが放送していた深夜番組「夜のバラード」。

これがのちに由紀さおりさんの代表曲となる
「夜明けのスキャット」の原型だった。

1968年、この歌詞の無い曲がラジオで流れると、
リスナーから問い合わせが殺到。

そこで、この曲に歌詞を付けてレコード化し、
安田章子を売り出すことを、いずみたく氏が提案。

こうして翌年、ラジオ番組「夜のバラード」のオープニング曲は、
正式にレコード化が決定し発売。

B面は「バラのためいき」。

本名・安田章子から、新たに芸名を、
由紀さおりに変え、再デビューした曲こそが、
夜明けのスキャット」だった。

由紀さおりさん、二十歳のことでした。

由紀さおりさんはこの時、
前段のワンコーラスのメロディーだけ譜面を渡されて、
「好きな歌詞で歌ってみて」と言われたとのこと。

そこで、
くぐもった感じの「ル」というところから、すっと入っていって、
それに少し情景がふわっと明るくなるような感じで「ラ」にいって、
サビのところは破裂音、パッと一番明るくお日様が出てきたような、
そんな起承転結のあるイメージを持って、自分で言葉をつけたとのこと。

「夜明けのスキャット」は、210万枚を超える大ヒットを記録。
紅白歌合戦にも初出場し、歌謡曲歌手・由紀さおりが誕生した。


ちなみに「夜明けのスキャット」は、
THE YELLOW MONKEY(ボーカル:吉井和哉)によりカバーされています。
ベストアルバム「THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST」収録
(2004年12月8日発売)



由紀さおりさんとピンク・マルティーニとの出会い

ピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・M・ローダーデールさんが、
由紀さおりさんの存在を知ったのは、
故郷であるアメリカ・オレゴン州ポートランドにある
中古レコードを扱うCDショップ「EVERYDAY MUSIC」でのことでした。

EVERYDAY MUSIC
address:1313 W. Burnside Portland, OR 97209


2001年、トーマス氏は、
由紀さおりさんのデビュー・アルバム、
「夜明けのスキャット」のLP盤をこの店で見つけました。

ジャケットの写真や中身を見て、その素晴らしさに感動。
いわゆる“ジャケ買い”をすることに。
そして楽曲を聴くと、すぐにファンになったとのこと。

トーマス・M・ローダーデール
「10年前、いつも行くレコード屋さんで偶然、
『夜明けのスキャット』を見つけました。
ジャケットがとても素敵で、中身も聴かずに買ってしまいました。
帰って聴いたら、たちまち好きになってしまいました」

そしてこのLPの中に収録されている曲のひとつ、
タ・ヤ・タン」をカバー。

トーマス氏が由紀さおりさんのレコードを気に入った理由は、
由紀さおりさんの声が、
どこか「Beautiful Summer Breeze(美しい夏のそよ風)」
のようだったからとのこと。

その演奏を偶然、
由紀さおりさんのスタッフがインターネットで見つけ、
ピンク・マルティーニにすぐさま連絡を取ったのでした。

ピンク・マルティーニは1994年に、
トーマス・M・ローダーデール(pf)が結成。

1940年代から1960年代の世界各国の歌を、
現代によみがえらせる活動を続けていて、
欧米で人気急上昇中のジャズ・オーケストラ。

2010年3月10日、トーマス・M・ローダーデールさん率いる
ピンク・マルティーニが来日した時、
由紀さおりさんがゲストとして初共演。

「タ・ヤ・タン」を歌い、
トーマス・M・ローダーデールさんと由紀さおりさんはすっかり意気投合し、
アルバム「1969」をレコーディング。

「1969」は由紀さおりさんの歌手活動43年目にして、
はからずも世界デビューとなり大ヒットしたのでした。

SONGS 第205回 由紀さおり

2012年1月25日(水) 22時55分〜23時25分 NHK総合にて、
SONGS 由紀さおり in ニューヨーク」が放送されました。

この回の放送では、アメリカのジャズオーケストラと共演し、
国内のみならず海外でも大きな反響を呼んだ
昭和歌謡サウンドの世界を歌う
由紀さおりさんを特集!

アメリカ・ポートランドのジャズオーケストラ、
ピンク・マルティーニ」と共演したアルバム、
1969」が海外でも注目され、ロンドンやアメリカでのコンサートが実現。

SONGS」では、12月にニューヨークで行われたコンサートを独占取材。


SONGS 第205回
由紀さおり

セットリスト <曲目>


マシュ・ケ・ナダ」(1963) Mas Que Nada
 … ピンク・マルティーニ PINK MARTINI


真夜中のボサ・ノバ」(1969) Mayonaka no Bossa Nova (Midnight Bossa Nova)
 … ピンク・マルティーニ PINK MARTINI
   (Vo) ティモシー・ニシモト Timothy Nishimoto


パフ」(1963) Puff, The Magic Dragon
 … ピンク・マルティーニ PINK MARTINI


ブルー・ライト・ヨコハマ」(1968) Blue Light Yokohama
 … ピンク・マルティーニ PINK MARTINI


夜明けのスキャット」(1969) Yoake no Scat (Melody For A New Dawn)
 … ピンク・マルティーニ PINK MARTINI


2011年12月13日・14日
ニューヨーク タウン・ホールにて

ソロモン流 ゲスト 由紀さおり

2012年2月12日に放送された
ソロモン流に、由紀さおりさんが“賢人”として特集されました。

<番組で紹介された由紀さおりさんオススメのお店>

日本料理
赤坂 あじさい
住所 東京都港区赤坂3−15−4 ネピロードビルB1F

東京・赤坂のビルの地下にある隠れ家のような日本料理店。
新鮮な魚を旨みを逃すことなく焼きあげる絶品の炭火焼が味わえるほか、
山形出身のご主人が地元の食材にこだわって提供する逸品料理も魅力のひとつ。

由紀さおりさんの事務所の新年会でもよく利用されるとのこと。

由紀さおりさんが大好きだというのが、
「山形名物芋煮」(2人前 3150円)。

醤油ベースのスープで、ネギや里芋、
そして贅沢に山形牛を煮込んだ名物鍋。


アクセサリーショップ
ABISTE(アビステ) 南青山店
住所 東京都港区南青山3-13-1小林ビル1F

由紀さおりさんお気に入りのアクセサリーショップ。
欧米の選りすぐりのアイテムを扱うお店。

<番組で紹介されたアクセサリー>

キュービックジルコニアのピアス 25200円
キュービックジルコニアのリング 30450円

由紀さおりさんによると、キラキラ光るアクセサリーが大好きで、
子供の頃の童謡歌手時代から、
お化粧をした後には光るイヤリングを絶対していたということです。

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